ピアノの音色でヒーリング

子供の頃から憧れていたピアノ。

レッスン見学に行ったとき、手が小さいからピアノよりもエレクトーンの方が弾きやすいかもと勧められたこともあったけど、即座に断ってピアノレッスンを申し込んだ。

どうしても、ピアノじゃないと嫌だった。

なぜそんなにピアノにこだわったのか、自分でもよく分からない。

昔から憧れてたのがピアノだったからといっても、なぜそれがピアノなのかと言われると、「なんでだろう?」となりそうな気もする。

楽器がしたいというのなら、別にピアノでなくてもいいんだし。

クラシックは脳と密接な関係があると言われているのは、よく知られていること。

モーツァルトの音楽には、

・ 集中力を高める
・ 免疫性が上がる
・ 脳が活性化する

などなど、様々な効果があると言われています。

モーツァルトの作った曲ということだからピアノだけに限ったことではないかもしれないけれど。

癒し効果をうたわれているヒーリングアルバムなどには、ピアノが使われていることがとても多い。

実際ピアノの音を聴いていると、とても心静かになれることがある。

学者じゃないから理由なんて分からないけれど、他の楽器にはない何か、あの繊細な音に惹きつけられるものがあってピアノを選んだように思う。

落ち込んだとき、悲しくなった時、迷ったとき…。

脳が活性化したかはどうかよりも、心身に絶大な効果をもたらしてくれるのは確かではないかと思う。

このストレス社会ではピアノからの癒しは今やなくてはならないもの。

繊細なピアノでモーツァルトを聴いたりしたら、効果抜群ではなかろうか。

音楽理論は必要かどうか

■ 音楽理論は必要かどうか■

音楽理論というものがある。

音楽に関する法則のようなもので、簡単に言うと、旋律、リズム、コード、音階、調(小学校や中学校の音楽の授業でならった、イ長調とかハ短調とか呼ばれるもののこと)、楽曲分析などがそれにあたる。

楽器は感性で奏でるものだけれど、演奏するにあたって音楽理論を勉強する必要があるのかどうか。

私の考えで言うなら、趣味で演奏するくらいならある程度楽譜が読めればそれ以上のことは知らなくても支障はない。

五線譜、ト音記号、ヘ音記号、基本の強弱記号、終止符など、基本が分かれば譜面はだいたい読める。

もし楽譜の記号が全部分からなくても、曲の方を先に知っているのなら全体の流れやイメージはわかる。

ただ、これはあくまでも基礎的なことで、その先のもっと難しい理論的なものは、どうだろうか。

なんでもそうだけれど、「必ず必要な知識」があるのではなく、自分の範囲を広げるために「あればいいもの」なのではなかろうか。

私自身が音楽の理論的なこと分かっておいたほうがいいかもしれないと思うのは、楽譜をアレンジしたいと思ったとき。

手が小さくて届かないときの和音や、楽譜に書かれている音が気に入らない部分があったときなど、アレンジを変えたくなるときがある。

単純に音を他のものに変えるだけなら難しく考えなくてすむけれど、もう少し小細工したいときなどはどうしていいのか分からなくなり、いつも先生に相談している。

その時は「そういうやり方もあるのか」と思うのだけれど、なぜそういう考えが出来るのかが、分からない。

必ずしも必要な知識ではなくても、もっともっとレベルが上がって物足りなくなったとき、音楽理論を知っていれば視野がもっと広がっていくし、自分でアレンジもしやすくなると思う。
 

ピアノを奏でる男はカッコイイ!

ピアノというと、男性より女性が弾いている姿を連想する人の方が多いと思うけれど、ピアノを習っている子供というと、これまたやはり圧倒的に女の子が多い。

男の子が憧れるものというと、野球とかサッカーになるのでしょうか。

学生で男の子がピアノを弾いていると女の子にモテそうなイメージがあって、ピアノが弾けることを何気にサラッと自慢げに言ったりするんじゃないかなんて思ってたのですが、そうでもないんですね。

以前、ピアノ繋がりの男友達に聞いてみると、意外な言葉が返ってきました。

「恥ずかしくって、言えないッスよ。」

・・・言えない、というのはちょっと意外でした。

小中学校くらいの年代でピアノを弾いたりすると、“女っぽい”とか何とか、そういうことらしいのですが。
そうでしょうか? 同性にはそう見られるってことなのかな?(やっかみじゃないのかとも思うけど。)

以前は、ピアノを弾く男性は線の細いコが多いと私も思ってたし、確かにそういう男の人も多いけど、バイクでガンガン一人旅するけど、ピアノがめちゃくちゃ上手いなんて男の子もいます。

見かけがそんな風に見えないからビックリです。
でもそのギャップがまたいいのかもしれない。

ドラマ「ロング・バケーション」でピアノを弾くキムタク(木村 拓哉さん)は、男性も女性も皆がカッコイイと思ったはず。(キムタクだからなのか?)

時には繊細に、時にはパワフル&ダイナミックに、ピアノで“何か”を表現できる男はカッコイイぞ!

働くお父さんに、ピアノライフを

男の人がピアノを弾くのはかっこいい。

子供や、少年、青年だけじゃなく、一生懸命家族のためにお仕事を頑張っている、働くお父さんの日常にもピアノライフを少し入れてみる、なかなかいいんじゃないでしょうか。

レッスンに通っていると、意外にもナイスミドル世代な男の人を見かけることがあります。
会社の部長を思い出すような雰囲気。

以前、出かけたピアニストのコンサートでも、希望者にピアニストが直々にステージ上でアドバイスをしてくれる、というコーナーがありました。

その中にお父さん世代の男の人がいて、緊張しているのか少したどたどしく一生懸命弾いていて、微笑ましく思いました。

「仕事が忙しくて習い事なんかしてる時間あるかぃッ!」

なんて声が聞こえてきそうですが、忙しいストレス社会で働くお父さんにこそ、音楽を奏でる時間を持つことはとてもプラスになるのではないでしょうか。

習うといっても毎週通うようなレッスンでなくてもいいんです。

毎日必ず弾く必要はないし、1日10分や1週間で休みの日に1時間だけでもいい。

好きな曲を練習しているときは集中できるので、雑念もどっかに飛んでしまいます。
楽しくなってきたら、しめたもの。

ピアノの音色には人を癒す力があります。

お父さんが好きだった昔懐かしい曲なんかを弾いてみたりして、忙しい日常に別世界の時間を作ってみたら、毎日が少し変わるような気がします。

味わい深い、シニアのピアノ

「ダイアモンド」
「雨」
「君がいるだけで」

昔カラオケでよく歌った曲、いわゆる懐メロです。

曲にはその時代を思い起こさせる空気というものがありますが、ピアノの演奏にもそういうものがあります。

ここでいう空気とは時代だけではなく、演奏している「人」から醸し出されるものです。

シニア世代の方が好んで弾かれるようなジャズなどは、なおさらその傾向があるように感じます。
同じアレンジをされている楽譜を若い男性と年配の男性2人が弾くと、不思議と弾いている人によって曲の空気が変わるように思うのです。どちらが上手いとかではありません。

音には演奏者の人柄が必ず出ます。
上手い下手の問題ではなく、その人だから伝わる音の空気というものが存在していて、生き方そのものと言っても過言ではないかもしれません。

シニア世代の方が弾いているのを聴いているとき、テンポがかなり速いのに、「なぜこんなに落ち着くのだろう。」

と思うことがあります。

難しいアレンジの曲を弾いていても、そんなに難しそうには聴こえない、サラッとしていて、スーッと自然に耳に入ってくる演奏もあります。

それはきっと“その人が弾いているから”で、他の人が弾くとこうはいかない。しかもその人は定年を超えてからピアノを覚え始めたというから驚きです。

きっと一生懸命練習されたのだと思います。

年齢を重ねれば必ずそうなるというわけではありませんが、人生の波を超えてきたシニア世代の演奏は、なんともいえない味わい深いものがありました。

ピアノを弾こう、芸術のススメ

忙しい現代、日常にはストレスが溢れかえっていて、悲しいかな、もういっそのこと消えていなくなってしまいたい!
なんて思うことも、しばしば。

仕事、人間関係、家族、健康、恋愛、未来、etc・・・。
悩むことは尽きない。それらが一気に怒涛のように押し寄せてくることだって、ある。

なんとかしたいけど、思うようにはいかない。

気持ちだけが急かされちゃって、早く早くって心臓も駆け足になってくる。

いっぱいのストレスにさらされるこの時代、日常ではない“非日常”のひと時を生活の中に作っておくのがいいんじゃないかと思う。

“非日常”ってどんなこと?

と考えたとき、真っ先に思い出すのは「芸術」。

絵画、音楽、お芝居、焼き物(お皿とか壷とか)、歌、身の回りには芸術がいっぱい溢れているのに、自分の生活そのものに取り入れてる人はどのくらいいるのでしょうか。

秋は芸術の季節とかって言われるけれど、芸術が似合うのは秋だけじゃないんです。
政策でお金が無くなってくると芸術方面から削除されていきがちですが、悲しいことです。

仕方がないかもしれませんが、日常の身近なところに親しみやすく芸術があればもっと救われることもあるのにと思うのです。

そういう私の“非日常”はピアノです。

自分で好きな曲を選んで、楽譜を探しに行き、一生懸命練習する。練習している時は他のことは一切考えません。

楽器を弾くことで、日常から“雑念を払う芸術時間”である非日常空間へと切り替えやすくなります。

大好きなピアノの音で好きな曲を自分で奏でる。なんて最高の芸術!

繊細なピアノの音色はハードル多し人生を支えてくれる力強い一面を持っているようです。

アンジーみたいな、ピアノ弾き語り

趣味でピアノを10年以上続けていますが、まだ実現できていないことが1つあります。

いつかはしたいなと思いながら、容易に出来ることではない、時間もかなりかかるので、楽譜は持ってるものの、なかなか取り組めない。

いつか必ずやりたいこと、それは、

ピアノ弾き語り。

ピアノといえば、曲を弾くだけではありません。
ピアノで伴奏をしながら歌う、ピアノ弾き語りだってありますよね。
バラードにはピアノの音色がよく使われますが、誰かに伝えたい、人の心に響く想いの歌にこれほど適したものはないんじゃないかと思います。

ピアノ弾き語りのアーティストといえば、今もっとも思い出されるのは、アンジェラ・アキさんではないでしょうか。
かくいう私も彼女の歌は大好きです。あんな風に弾き語りができたらいいなぁって思います。弾き語りできたら、絶対もっとピアノ楽しくなるはず。

でも、メインメロディが全くないピアノの音だけで歌うのは想像以上にかなり難しいです。カラオケとはワケが違います。
まず、声の音程そのものさえ取りにくい。

カラオケはメロディラインの音がちゃんと入っていて、それを耳にした状態で歌えるので、キーはわかります。
でも弾き語りはメロディラインは無いし伴奏も表情つけて弾かなきゃいけない、ピアノの音に負けないように声を出して“歌う”ということもしなければならない。気を配ることがいっぱい。

あのダイナミックなピアノとパワフルな歌声、アンジェラ・アキさんはすごいです。

弾き語りのレッスンなどもあるので、いつか受けてみたいです。

ピアノで広がる音楽の絆

同じアーティストを好きな人と、一緒にコンサートに行く。
食べるのが大好きな人と、カフェ巡り。
温泉が好きな人と各地へ旅回り。

共通点を持つ人とは話も合って、一緒にいると話も尽きず、楽しい。
何か趣味を持ったとき、それを続けていくうえでとても大切なのは、同じ話しができる友人がいること。それがいるのといないのとでは、大きな差があります。

ピアノを始めた頃、それまでずっとピアノと無関係の世界で生きてきて、当然周りにピアノはおろか楽器を弾く人なんて皆無でした。
ただ単に“曲”の話はできても、“弾く”ことに関して話せる人が、教わっている先生以外に居ない。個人レッスンなので尚更です。
ピアノを弾く友達がいたらな…と思った私は、新しい人間関係を求めることにしました。

そこから本当にたくさんの人達とご縁ができました。
男の人も女の人も、年下から同じ年代、お父さん世代の人まで。
ちょっと失礼な表現かもわかりませんが、一見普通の人そうに見えるのに、話してみるとものすごく個性豊か。

音楽以外の会話はごく普通だけど、ピアノの話になるとものすごいこだわりを持っている。選ぶ曲も音色も皆それぞれ違っていて、かなり面白い!

芸術系だからか、中にはちょっとクセのある人も時にはいるけれど、今までのどの友達とも違う、ちょっと別世界な縁。だいいち、かなり親子ほど歳の離れた友人なんて、そうそうできるもんじゃない。いるのは会社の上司くらい。

この全ての出会いは、ピアノと無関係のまま生きていたら絶対に袖触れ合うことさえも無かっただろうなと思う。
楽器を始めることで、一歩も二歩も飛び出た絆が広がりました。

手が小さくても大丈夫

 ピアノを習おうと決めて教室に見学に行った時、今の先生に初めて会った日に最初に言われたこと。

「ピアノ弾けなくはないけど、もしかしたらエレクトーンの方が弾きやすいかもしれないよ。」

私は手が小さいのです。それこそ、小学生低学年並みに。一オクターブなんて届かない。
ピアノは鍵盤を和音で弾くので、手が小さいとどうしても不利な面があります。

でも私は絶対にピアノが良かった。というより、ピアノじゃないと嫌でした。そもそもピアノの音が好きで習いたいわけで、エレクトーンだと意味がないのです。

「子供でもピアノ習ってるし、できないことはないですよねっ。」

と言って、とりあえず試しに習ってみることになりました。それがもう10年以上続いています。
「オクターブ届かないのに、ピアノなんて弾けるようになるのかな。」
「やっぱりムリかも。」

そう思うこともありました。

もし同じように手が小さいことでピアノを弾くことを諦めてる人がいたら、断言したい。
  手が小さくても、絶対に大丈夫!

手が大きい方が一度に押さえる音域は広がるし、弾きやすいとは思います。

でも、小さい手でも、練習するうちに手のひらも開くようになってきて、押さえられる鍵盤も広がってきます。
確かに、どうしても物理的に限界があるので弾けない和音はありますが、そんなの関係ない。
伝わる演奏をすればいいのです。
それは手の大きさに左右されません。

だから、手が小さくても大丈夫。だって私は今この小さな小さな手で、好きな曲をいっぱい楽しんでいるんだから。

小さくても頑張ってくれているこの両手が、ちょっと好きだったりもします。

もしもピアノが弾けたなら

 幼稚園で習った楽器といえば、カスタネット、ハーモニカ。
小学校に入って増えた楽器は、低学年ではソプラノリコーダー、ピアニカ、オルガン。音楽
クラブに入っていたから、鉄筋や木琴、太鼓も叩いた。
でも、何よりも覚えたかった、弾きたかったのは…

憧れのピアノ。

学校の授業や合唱コンクール、果ては花道・卒業式。
ピアノを弾ける子が伴奏を引き受けて、ポロんポロン、グランドピアノで綺麗な音を響かせ
ているのを見ては、

「いいなぁ。」
「あんな風に弾けたら、楽しいだろうな。」
「私もピアノが弾けるようになって、あの大きなグランドピアノで何か曲を弾いてみたい。」

なんて思ったりしたって人、とくに女の子にはけっこういるんじゃないかと思う。
学校で、街頭で、音楽教室のデモ演奏とかで、誰かがピアノを弾いているのを見るたびに、
自分に置き換えて想像してみたりして。

もしも、ピアノが弾けるようになれたなら…?

バンドとかでキーボード担当しちゃったり。
発表会とかで綺麗な服着て、舞台で弾いてみたり。
誰かの結婚式でお祝いに弾かせてもらって、人生の記念に刻んでもらってもいいかも。

いやいや、きっと晴れ舞台みたいなものだけじゃない。
家に憧れのピアノを置いて、休みの日なんかにサラッと1曲弾いたりするのもいいなぁ。

「もしも、ピアノが弾けたなら。」

一昔前はそんな風に、ただ遠い存在のように思い描いていました。

 



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